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テロ(ハイジャック)

 新年早々、衝撃的なニュースがパリから報道されました。

7日 パリ市内の風刺週刊紙「シャルリエブド」本社に覆面をしたクアン兄弟が侵入し、編集部員12人を射殺して、逃走しました。  9日にはパリの北東とパリ東部で人質を取り立てこもる事件が相次いで発生しました。
容疑者3人が射殺され、犠牲者は17名になりました。

 私にとって人生を大きく変え、記憶に残るテロ事件があります。
1973年7月20日に発生した「ドバイ日航機ハイジャック事件」です。
事件はフランス、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由羽田行きの日本航空404便(ボーイング747、246B型機)で発生しました。
搭乗の犯人は、国際指名手配中の日本赤軍 丸岡修とパレスチナ解放人民戦線(PFLF)のメンバーを含む9名の混成部隊です。
事件の概要は、ハイジャック犯人グループの1人の女性がアムステルダム離陸後に2階のファーストクラス・ラウンジで誤って手榴弾を爆発させました。
この女性は死亡し、近くで接客していた宮下チーフパーサーが顔面に重症を負いました。
2枚窓ガラスの1枚にヒビが入り、小沼機長は高度1万メートル以下の低空飛行を余儀なくせざるを得ませんでした。
この飛行機には7月末退職予定で最後のフライトとなる客室乗務員(スチャーデス)がいました。
妻となる「はるみ」です。

北極圏を飛ぶ予定の北回りの飛行機は、ゲリラの要求で南下しました。
迷走飛行を続けながら、ドバイ経由し、シリアのダマスカス国際空港で燃料の補給を行い、リビアのベンガジにあるベニナ空港に着陸しました。
犯人グループは乗員乗客150人の人質(ハイジャック史上日本人乗客が最大)を解放後、飛行機を爆破しました。
犯人グループは投降後、リビアの友好国経由で国外逃亡しました。

この事件は、42年前になりますが、テロ事件は絶えません。
テロ事件のたびに当時の記憶が蘇ります。
人間の欠けがえの無い命の大切さと重みを感じています。
このような事件を風化させず、国を超えて世界平和を目指し、武器の絶滅に向けての議論をしていただきたいと願っています。










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